歴史の方法

近現代日本を調べるためのブックガイド。ググらず自力で調べるのに役立つ、事典や目録などの書物を気ままに紹介していきます。

『現代史資料』別巻・索引

『現代史資料』別巻・索引

 『現代史資料』は、大正から昭和戦前期にかけての日本近現代史上の事件ごとに関連する史料を収録した史料集のシリーズである。みすず書房から、『現代史資料』として全45巻(1962-76年)、『続・現代史資料』として12巻(1982-96年)が刊行された。

2016年現在もオンデマンド版としてみすず書房から購入することができる。

www.msz.co.jp

今回紹介する別巻(1980年)は、『現代史資料』全45巻の索引を収める(したがって『続・現代史資料』の索引はない)。全巻目次(2-79頁)、収録資料年表(81-449頁)、人名索引(3-420頁)からなる。

 

各巻の目次は昨2015年よりみすず書房HPで確認できるようになった。,シリーズ『現代史資料』『続・現代史資料』の全巻につき、目次をPDFでごらんになれます 

だがそこでは巻ごとに記載ページが異なり確認に手間がかかるため、別巻の全巻目次の方が通読に適する。

 

収録資料年表は、「資料作成の年月日順にしたがって排列し、その収録された巻数と頁を示した」(ⅰ頁)ものである。『現代史資料』自体は事件ごとに史料が収録されているため、同時期の出来事であってもばらばらの巻に収録されている。収録資料年表によって、事件ごとの縦の系譜に加えて時期ごとの横のつながりも確認でき、物事の経緯を明らかにするのに役立つ。

 

人名索引は、資料に出てきた人名に沿った索引となっている。すなわち「予審調書などで、明らかに誤記されている姓名も、判事、録事らの、当時の文書記録への態度を示す一徴標と見られることもあるので、あえてそのままとし、末尾に正しい名を示した」(ⅲ頁)という。注目すべきは、資料別巻の月報に付された、高橋正衛による「筆名・変名・愛称一覧表」である。人名索引では筆名類は本名が示されているものの、本名から筆名を辿ることは容易ではなかった。月報の表現を借りれば、索引に加えて一覧表を見ることで

例えば読者が他の著作において変名としての「加藤」の名が出てきた場合、直ちにこれがほぼ同時期に社会主義運動で活動した吉田一と佐野學の二名があったことが知られるであろう。

巻ごとの内容などは、みすず書房HPにあるのでここには記さない。

文部省維新史料編纂事務局編『文部省維新史料編纂事務局所蔵図書目録』

文部省維新史料編纂事務局編『文部省維新史料編纂事務局所蔵図書目録』

国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている↓(ただし出版年を1938年としているが誤りだろう。昭和11年=1936年が正しい)

 文部省維新史料編纂事務局所蔵図書目録

 

収録対象:「昭和十一年三月末現在に於ける文部省維新史料編纂事務局所蔵図書」

和漢図書は五十音順、洋書は編著者名のアルファベット順。

現在は東京大学史料編纂所に所蔵される、いわゆる維新史料引継本の目録である。

編纂所の所蔵資料目録データベースから、貴重書→維新史料引継本で全件検索できるが、書名を五十音順に調べることができないので、この目録で確認すると便利だ。

 

目録は、和漢図書、洋書、附録(一)東京帝国大学文学部史料編纂所々蔵史談会採集本、附録(二)外務省所蔵正続通信全覧・公文、となっている。

和漢図書にしぼって見ると、記載内容は順に、図書名、編著者名、発行年代、装釘、冊数、分類記号、図書番号。

分類記号がやや特殊である。凡例には「分類記号欄の一は購入又は寄贈によるもの、二は本局作成にかゝるものにして多くは諸官衙諸家所蔵史料の副本なり」とある。記号は「い(一般史料)、ろ(伝記、武鑑、辞典、年表)、は(談話筆記)、に(公文、上書、建白書)、ほ(公文、日記、手記)、へ(書翰類)、と(紀行文)、ち(詩文、遺稿)、り(地図、絵画、写真)、ぬ(洋書)、る(家譜、武鑑、辞典、表類)、を(雑書)、わ(目録)、よ(出張報告)」と、いろは順に付けられているようだ(ただし関東大震災後には「に」「と」は「ほ」に、「る」は「ろ」に、「を」は「い」にまとめたとある。「本局蒐集の図書は大正十二年の関東大震火災の際殆んど全部を焼失し」たたらしい)。

 

一例を抜きだすと、

図書名:木戸孝允書翰 編著者名:岩倉具視 発行年代:明治四年二月十日 装釘:写 冊数:一 分類記号:ニへ 図書番号:三三一 (182頁)

 図書といっても、本来は図書ではない史料も含まれる。この場合、分類記号が二へなので、維新史料編纂事務局が書翰を写して所蔵していることが分かる。

明治中期以降に活躍する人の史料や本も意外とあるので、発見が多い。

 

考察・分析・検討:論文を書く4

文章を書くとき、文末表現で悩むことはないだろうか。

気づけば考察の繰り返し、分析や検討を織り交ぜて考察を減らすというのは芸がない。

では、ほかにどのような文末表現があるだろうか。自分の文章や手近な研究書から適当に拾ってみた。なお以下の並べ方にとくに規則はない。

 

という されている している わけではない 成果である 研究である 妥当である

述べる 描く 言及する 主張する 示唆する 指摘する 把握する 提起する 論点である 結論づける 位置づける 研究視角 立場にある 問題点は 継承する 展望する 構図となる うかがえる 類似する 意義がある 重要である 見出す 参考とする 志向がある 認められる 挙げる 並列する 共通する 分ける 分類する 区分する 列挙する 対置する 趣旨である 伺われる 判断する 特徴づける 解説する 見落とす 見逃す 論じられない 尽くされていない 残される 捉えられない みなしがち 視野に入らない 収斂する 論じる 考察する 説明する 理解する 解釈する 分析する 解明する 追う 深化する 描く 考慮する みなす あてる 考える 求める 検討する 検証する 実証する 論証する 推察する 留意する 注意する 念頭におく 目を向ける 視野に入れる 触れる 定義する 記述する 論点とする 問を立てる 手掛かりとする 仮定する 予想する 想定する 反映する 取りかかる 概観する 整理する まとめる キーとなる 必要がある 関連する 連関する 逆照射する 対象とする 抽出する 対照する 評価する 認識する 限定する 限る とどめる 使用する 取りあげる 確認する 読み解く 着目する 顧みる 試みる による 分かる 示す 裏付ける 証拠となる 蓋然性が大きい 可能性がある 言えよう ようである 考えられる 

 

これから文章を書くときに少しは役立つかと思う。ただ今回の作業を通して実感したのは、文末表現が考察であろうと検討であろうと、大して重要ではなさそうなことだ。無論、同じ個所で繰り返し考察するなどは避けるべきだが、考察か分析かという区別は導入や結論の分かりやすさにほとんど影響を及ぼさないようだ。

 

問題は、その考察や分析の内容にある。「…を考察する」という雛形のなかで、…の部分でどれだけ考えを深め表現を練れているかが重要なのである。そして内容部分が中途半端なときにこそ、考察や論証や把握といった表現が鼻についてしまうのだ。

文末表現はいわば白米のようなもので、メインディッシュの味が論文全体の評価を左右する。ステーキがまずければご飯もまずくなる。

それに、この文末表現例は、炊き加減がやや固い。「漢字二字+する」は減らすよう心がけた方がよい。そのためには、一文一文の表現よりも、段落や節ごとの論理構成に気を配るべきだ。

あまり強い言葉を遣うなよ 弱く見えるぞ

とは論文にもあてはまる。分析やら視角やらといった言葉を多用したところで、史料に鋭く切り込めるわけではない。弓を使わず鳥を射落とす者こそ名人である。