歴史の方法

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升味準之輔『なぜ歴史が書けるか』:論文を書く3

升味準之輔『なぜ歴史が書けるか』

なぜ歴史が書けるか

なぜ歴史が書けるか

 

 余すところない史料引用による文章構成から今なお読み継がれる日本政党史論の著者。

「なぜ歴史が書けるか」を古今東西の歴史家の文章から随意闊達に伝える。

読みどころは多いが、文章修業に関する箇所を引用しよう。

 

歴史家は叙述する。しかし、思うような文章がなかなか書けない。まずある雑誌の「私の文章修業」というシリーズに書いた拙文を、ちょっと手をいれて転載する。三〇年前に書いた、おはずかしいようなものであるが、そのままにしておく。

私が文章を書くとき
とくべつ文章修業をしたことはないけれど、職業柄仕事の大部分は文章を読んだり書いたり喋ったりであるから否応なしに自分の文章作法ができてくるようである。 
 大学を出て三、四年くらいまでは、スラスラと文章を書いていたような気がする。書きくずしなどはあまりなかった。それが二六、七歳のころだったか、まるで書けなくなった。クシャクシャにまるめた原稿用紙が机のまわりにちらかるようになった。思うように書けないというのは、自分の思考の波長に合った文体が必要になったからであろう。他人の文体の借用だけではすまなくなったのである。文対だけではない。思考のパターンそのものもそのころ形をなしたように思われる。だから、三〇歳までに全力投球の論文を書きなさい。出来不出来はともかく、そこで君の形ができるのです、と私は大学院学生諸君にお説教する。まとめることで自分に形を与えることができる。まとめなければ(まとまらなければ)、三〇歳のときの自分の形を永久に見失うのだ。
 三〇歳のときの文章は、三〇歳でなければ書けない。しかし、五〇歳になれば五〇歳の文章があろう。私の文章のパラグラフは短くなった。いまごろは三〇〇字平均で、三〇歳のころの三分の一くらいであろうか。センテンスも短くなり、副文章や接続詞が少なくなったと思う。ポキポキの文章だとひとはいうけれど、中国古典をみよ。あれはポキポキではないか。いまの私にはこれがいちばん書きやすい。私の波長に乗るようだ。
 ところで、論文は文体以上である。つまり論理的構築物なのだ。私の構築の手順といえば、まだ単純素朴な単細胞的アイディアをもちながら材料(史料とか文献とか)をよむ。材料をよむうちにアイディアが増殖し始める。が、アイディアの増殖は「自由連想」的であって、論理的でない、だから、アイディアの集合を論理的に整理しなければならない。私は電車の中でよくこの整理をする。そして手帳にチョロチョロとメモをする。しかし、頭のなかでの整理がいかに論理的でないかは、たとえばそれを講義で話してみればあきらかである。よほど考えてあるつもりなのに、しゃべっている最中に突然オヤッと気がつき、トタンに構築物がガラガラッと崩れ落ちるような感じがする。それでも講壇二五年の古狸は、なにくわぬ顔で切り抜ける修行はつんでいるが、講義のあと甚だ気色がよろしくない。
 論理的整合性のためには、文章を書くのがいちばんよい。アイディアの一つ一つを別の原稿用紙に書き、小見出しをつけ、それを章節に分類して、章節にそれぞれシャレタ表題をつけ、ぜんたいの目次を作成する。その目次は、論旨の展開を一目瞭然にしめすようにもっていかねばならない。それから、章節の表題に合うように小見出しを変更したり入れ替えたり、それに合わせて単位アイディアをならべかえたり削ったり、増殖したアイディアをつけ加えたり…それにしたがってつなぎの文章を書きかえる。そうしていると構築物の欠落した部分、余計な部分も発見できる。そこを修繕しようと思うと、また全体がガタガタしてくる。
 これを繰り返しているうちに、論文が体をなしてくる。どうにもならなくなれば、まだ私が熟していないのである。いずれ熟するときもあろうとあきらめるほかない。しかし、完全に出来上がることはないのである。そもそも論理的であるかどうか判らぬ歴史や社会を対象にして、そもそも論理的とはいえない頭脳を用いて完全に論理整合的な論文を書けというのが無理なのだ。私は八分通りで出来あがりとして出版社に渡している。
 こんあことをしているうちに、私は二〇代のころのような「自由連想」的な素直な文章が書けなくなったようだ。この文章も自由連想のつもりで書き始めたのだが、つい論文のクセが出てどうにもならない。これで成稿の三倍も原稿用紙を書きつぶした次第だ(『地方自治職員研修』一九七九年一二月号)。

 

私は、文章を書くのに苦労した。文章の目標は、簡明ということだと思うが、その目標にいたる指針は、ある自然さの感覚ではなかろうか。私の考えているなにかが簡明な表現をえたとき、私は、その表現に自然さを感ずる。しかし、そう感ずるまでには、精魂も尽き果てる。頭のなかのなにかがサラサラと簡明な文章になるなら、達人の業であるが、なにか書きたいことがあって書きはじめるにもかかわらず、書いているうちにその何かが分解し変形してしまう。煙のように消えてしまう。かくてはならじと考えなおし書きなおし、これでよかろうとひと眠り、目がさめて読みなおすと、注入したはずの精気がまったく失われて、野垂れ死のむくろのごとくである。かくてはならじと書きなおし、眠り込んで目がさめて読んでみると、これはまた狂人のうわごとのごとく支離滅裂である。かくてはならじ…もがくというのがいちばんピッタリする。もがくうちにくたばってしまうこともあるが、くたばらずにもがいていれば、私のなにかが形(表現)を獲得する。私は書きながら形をさがしている。私に書きはじめさせたなにかが、書きかえ書きかえするうちに、整理され淘汰されて、簡明な形をなす。なにかと形が対応してきしみがなくなったときの静かさと安らぎが自然さである。それは、作為の果、技巧の極である。どうもがいても自然さを感ずるに至らなければ、自分がまだ熟していないのだから、どうしようもない。熟するときを待ちなさい。また自分で簡明と思っても、読者がそう思うとはかぎらない。が、まず自分が簡明にいたることが第一。自分にわかっていないのに、ひとにわからせようというのは無理である。
 私の文章のある部分が酔っぱらっている、というのは一理あるかもしれない。酒の勢いで書いた文章は、さめて読めばだいたい使いものにならない。歴史は、シラフで書くべきものだ。しかし、史料にたいする耽溺とか追体験とかが歴史家にとって不可欠であるとすれば、一種の陶酔が文章にあらわれても不思議はなかろう。私を酔わせているのは、もしかしたら酒ではなく歴史である。 (303-307頁)

 

とにかく書くこと、まとめることで論理がつくられる。